私は、2024年3月末で仕事を辞め、家族5人で埼玉から鹿児島県与論島に引っ越してきました。
家族構成は 夫44歳(元消防職員) 私43歳(元特別支援学校教員) 息子(中学1年生) 娘(小学4年生)娘(小学1年生)の5人家族です。黒猫ちーちゃんもいますが、今一緒に住めないので、預けています。
なぜ与論島かというと、夫の強い願いだったからです。
夫の両親がここ与論島の出身で、夫は子どもの頃から帰省で遊びに行っていて楽しい思い出がたくさんあり、「いつか住みたい。」と結婚する前からずっと言っていました。
私も島で暮らすことや、子育てすることに憧れがあり、いつかやってみたいという思いもありました。でも、結婚した頃はまだまだ仕事も覚えたてでせっかく入った仕事を辞めて島に行く選択はなく、埼玉で子どもを産み、一軒家も買い、子どもを保育園に預けながらフルタイムで働く毎日。
3人の子どもが小学校に上がる度に、移住を検討しましたが、住む家もないし、ローンもあるしで結局移住できず、コロナもあって老後でもいいかと思い始めていました。
そして息子が中1、下の娘が小1に上がる時期、そして住宅ローンも3年ほど前に終わった事もあり、今回が移住の最後のチャンス!真剣に検討し始めましたが、2023年4月の地点で住む家がなく、無理かと諦めかけたのが9月頃。
たまたま移住促進の町営住宅の申込の話を夫がネットで見つけ、とりあえず応募してみました。与論島は家がなく、かなり倍率が高いことは知っていたので無理だろうなーと期待していませんでした。
が、なんと、入れました!!
せっかく入れたのだから、神様が行けと言っている!と心が決まり、退職を決め、今に至ります。
でも公務員という安定の仕事を辞め、子どもを3人連れ、12年住んだ一軒家を売り、実家の近くの地元の埼玉を離れる決断は、迷いに迷いました。
本当に後悔しないのか? お金は大丈夫か? 仕事はあるのか? 島の人とやっていけるのか? 子どもたちの学業は? 環境の変化についていけるか? 実家に頼らず生活していけるのか?
などなど、考え出したら不安なことが多すぎて、随分迷いました。
夫だけ先に行くことも考えましたが、働きながら子どものことや自治会のこと、家のことを全部一人でやる自信もなく、一緒に行くことを選択しました。
また、退職にあたっては、娘のことが大きいです。
真ん中の娘は学校に行ったり行かなかったりで休みがち。そんな娘のことが理解できず、仕事が休めない私は、とにかく学校に行ってほしい想いが強く、なぜ行けない、行かないのか、娘を攻め続けていました。
理由は言わない、もしくはわからない娘にイライラが募り、つい嫌な言葉を浴びせてしまう。そんな自分も嫌でした。自分は学校で他人の子を見て、自分の子は家で一人でいる、何とも言えないモヤモヤ。
仕事をしていなかったら、もっとゆとりを持って接していけるのに・・・と思いながら、せっかく手に入れた公務員という安定した職を捨てることができなかったです。
そして下の娘が小学校に上がるとき、「もしかしたら下の子も上の娘と同じく学校に行かなくなるかも。このまま仕事をしていたらまた同じことを繰り返しそう。もう2度と同じ思いをしたくない!」と本気で思いました。退職しようかと迷っていた時に、ヨロン島の家が決まり、退職の決断ができました。
それまで移住を見据え、どんな人生を送りたいか、色々な本を読んでいっぱいいっぱい考えました。
自分も家族も幸せに暮らすために、自分は何をしたいか。どうやって生きていきたいか。
・自給自足で野菜を育てたり、電気を自給したり、薪でご飯を作ったりして、地球にも環境にもやさしい暮らしがしたい。
・DIYが好きなので、自分の家を自分で直したり、好きなように手作りしたりしたい。
・宿も作って、みんなに泊まってもらう場所を作り、一緒に家作りたいや野菜作りができたら楽しそう。お客さんに泊まってもらえたらお金も自給できそう!
・子どもにもっと自然の中でたくさん遊んでほしい!
・もっと時間にも心にもゆとりを持って、子どもたちと過ごしたい。
・生活の様子をみんなに知らせ、仕事を辞めたいけど辞められない人に、島に暮らすことに興味がある人に、人生の大きな決断に迷っている人に、こんな生き方もあるということ、こんな人生もあるということを色々な人に知ってほしい。
こんな思いでブログを始めました。
長文を読んで下さり、ありがとうございます。どうぞよろしくお願いします!!
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